モビルスーツと歩兵のいる風景――戦場の惨禍――

 

3巻における特色のひとつはは、地上に取り残されたネオジオン包囲網の描写です。
ネタバレを避けつつ語れば、主人公はミディ・ホーソンに会うという目的を秘めて連邦=エウーゴキエフ攻囲戦に歩兵として参加するのですが、このキエフ潜入までの経緯が半端ない凄惨さでつむがれていきます。


(パラグラフ2より引用)

モビルスーツだ!」
 息を止めて振りむいたきみの目に、ザクⅢを乗せたドダイ改が急降下してくるのが映る。
ダイ改は何とか湿地に逃げこもうとおしあいへしあいしているジオン兵たちの上を轟音を
たててフライ・バイした。次の瞬間、街道の反対側で対人榴弾が炸裂する。
 湿地の上の爆発なので威力は半減されているはずなのだが、弾頭に敷きつめられていた
鋼鉄のボールは不運にも集団の外側にいたジオン兵たちの胴体を貫通し、その頭を砕いた。
街道の上で阿鼻叫喚の地獄絵図が展開される。
 怒号と悲鳴が飛びかう中、だれかが叫んだ。
「また来るぞ!」

(中略)

 ザクⅢの右手があがり、グレネード・ランチャーの2つあるトリガーの後ろにその指が
かかるのを見たきみは短いノズルの正体を悟った。頭から泥の中に飛びこんで伏せる。
 長く尾を引く爆発音がひびき、きみの背を強い熱気があぶった。ザクⅢが左手にもった
2つのタンクにはそれぞれ圧縮空気と液体燃料がこめられている。圧縮空気で押しだされた
液体燃料はチューブを通って右手のノズルへ……、そこでこれを点火してやれば……

キエフへと撤退していく兵士たちを爆撃し、さらに戻ってきて火炎放射器で焼き払う……
実際の戦争同様、無慈悲で凄惨な死の描写があちこちでブチ撒けられています。
モビルスーツによる攻撃で無残に死んでゆく一般兵というのは、実は他のガンダムゲームブックでは巧妙に排除され、書かれなかった部分ではないかと思います。
どうしても巨人対巨人、モビルスーツ同士の構図にカタルシスを求めがち(そして負傷者や死者もモビルスーツ同士の戦闘で描かれがち)な他のゲームブックと違い、『エニグマ始動』では戦場の風景描写も手を抜かないのです。
露悪的とさえ思える過剰な描写には、あるいは当時、不快感を感じる読者もいたことでしょう。
しかし、そうして描かれた殺戮シーンがなんらかのメッセージを含むことはありません。主人公も兵士の一人であり、モビルスーツの戦闘で野戦病院が倒壊したときなどに、ちらりとそのことを思うばかりです。
あくまで、読者をガンダム世界の容赦ない現実に没入させる……。
そのために徹底してガンダム世界のリアリズムを描写する作家と、この作品の出版を容認した当時のHJ社の姿勢には唸らざるをえないところがあります。



もう一つ特筆すべきは、中盤以降、仲間と交信しつつ敵を殲滅していくモビルスーツ戦の通信描写です。


202

マラサイ2よりGリーダーへ! 敵機が接近している」
 左翼のマラサイからだ。興奮のためか声がうわずっている。
「敵機はハイザック…… ビームバズーカをもっている。もう2機ほど反応があるな
…… 旧式機の混成部隊だ、オトリかもしれない」
 きみは、

 ギャプランマラサイ2の応援にいかせる     50へ
 自分で応援にいく               56へ
 マラサイ2にまかせる              55へ
 ギャプランと右翼のマラサイ1を応援にいかせる  30へ


部隊をまかされた主人公は、今作では自分の行動ばかりでなく仲間を操って敵を撃破していくことになります。
例えばここで『ギャプランを応援にいかせる』を選べば、



50
 きみは前をいくギャプランパイロットを呼びだした。
「敵は3機だ。応援に行ってやれ」
「了解」
 ギャプラン2の両腕に取りつけられたムーバル・シールドが変形し、ノズルが火を
吹いた。大推力にまかせて変形もせず地面をなめるようにして飛び、左の丘の陰に
消える。

通信によって逐次入ってくる味方と情報をやりとりしつつ、行動を選んでいくわけです。
展開によっては当然味方が不利にさらされ、


 そのとき、右翼のマラサイからの通信が飛びこんできた。
「攻撃をうけた! くそっ、ビームが……」
マラサイ1、落ち着いて行動しろ」
「MarkⅢだ…  グーファーが3機、ちくしょう! いつのまにこんな近くに……」


あわただしいコールを聞きながら、劣勢をはね返すべく次の手を打たないといけません。
今でこそPS2の『エースコンバット』のようにかっこいい通信シーン使って臨場感を盛り上げるゲームなどがありますが、やはり文章で会話を自由に書けることの強み、あの特有の興奮とテンションを『エニグマ始動』は20年近く前に体感させてくれたわけです。