本文最終話より

「やがて季節は長く寒い冬へと移行し、西暦2000年を告げた。
「1999年の8月に恐怖の大王が落ちて来る」そんなノストラダムスの予言があったが、どういう偶然か、全ての始まりは丁度その時期と重なる。ここに綴った物語は、20世紀の終わりにあった、人類の影の戦いの記録である。これが21世紀以降の世代に伝えたい物語だ。
 結局のところ、サイオマンの超能力とは、異次元、あるいはあの世、あるいは寝てる間に見る夢の世界、それらをどう呼ぶかはさほど重要ではないが、この世界の裏側にある別の世界での能力を、この世で実現させてしまう道具なのだろうと思われる。
 まだまだおれは、サイオマンに眠る多くの力に気づいてない。黄金を生み出すサイオクリスタルのより優れた使い道は、もっとたくさんある筈だ。物品引き寄せ能力にしても、わざわざ引き寄せる必要なんてなかった。サイババのように、念じるだけで望むものを物質化することだってできたのだ。意志を具現化する道具だから、格闘家であるこのおれに合わせ、戦闘強化服という形態をとっているだけなのかも知れない。何もヒューマノイドの形をしてる必要さえなかったのだ。サイオマンが人間の形をとっているのは、ただ単におれの意識の反映に過ぎない。
 サイオマンとは、レンジャ星の言葉で超絶対者という意味だ。絶対者という以上、それは一人でなくてはならない。だが、この世は相対性の世界だ。絶対者である筈のサイオマンが複数いる。どちらが真の絶対者となるか?暴走したサイオマンか、人間と一つになったサイオマンか。ただ、今の自分には、とても奴らの力に太刀打ちできないことは分かっている。苦しい戦いだが、それでも自分達の未来を勝ち取らねばならない。一時的にダークフォースを追い返したものの、我々の行く先には、前途多難な未来が待ち受けている。目の前には、一寸先さえも分からぬ未来が横たわっている。奴らとの戦いは、まだ始まったばかりだ。
 時々考えるのだが、おれは無意味なものと戦い続けているのではないか……ふとそう思うことがある。英雄とは、戦いながら新たな矛盾を世の中に生み出してる者のことだ。たとえサイオマンと言えども、因果応報の法則から逃れることはできない。所有する畑が増えれば、それだけ耕す労働力も増える。小学生をいきなり大学生にすれば、それだけ勉強も辛くなる。ゆったりとした自然の流れに逆らうと、必ず反作用が起こる。いくら頑張って悪を倒しても倒しても、悪は決して消えることはない。一つの勢力を潰せば、別の勢力が台頭するだけの話である。ダークフォースというのは、悪の勢力を代表したものに過ぎない。それを支えているのも人間だ。ダークフォースが存在するのは、その一方で彼らに力を与える人間がいるからだ。本人が気づいているといないとに関わらず、悪を許容するのは人類全体への裏切り行為である。しかしそうは言っても、この世界が物理世界である限り、必ず相反する二つの力がある。それが相対的世界の法則だ。究極的に言えば、悪の勢力や間違った考えを支えているのは、自然の法則そのものということになる。おれのやっていることは、この自然の法則と、終わりのない永久不毛な戦いを繰り返してるだけなのではないか。人間にとって、本当に平和や魂の休息というものはあるのだろうか?時々そんな疑問が浮かんで来るのだ。
さらば、20世紀よ……狂気の時代。新たな世紀が、平和と正義に満ちた世界であることを願ってやまない。」